李 妍雅様 ヨナニム(文 亨進様のご夫人)が
涙ながらにお母様の事を語る
不足ですがお母様のお姿を証ししたいと思い、
「天宙のお母様、私のお母様」の題目で準備してみました。
自叙伝にはお母様の姿が短く紹介されています。
真のお母様の人生を30分という短い時間で証すことは無理だと思いましたので、3つのテーマに分けてみました。
私達は対外的な行事で真のお母様をたくさん拝見します。
それでは真のお母様の内的な人生はどうだったのか。
様々なエピソードを通して推し量る時間になればと願います。
第一は、真のお父様にこの上なく侍られる真のお母様。
第二は、真の子女様をこの上なく愛される真のお母様。
最後は、食口の皆様をこの上なく愛される真のお母様
このような3つのテーマで準備してみました。
ある夫人が、次のような証をしました。
30代の頃、遠くからお母様を見て、このように思ったそうです。
「お母様がうらやましい。あの位置は本当に良いだろう。」
そう思いながら教会に通い、数年後夢を見ました。
女性ばかりの集会で、お父様がみ言を語っていらっしゃいました。
集会が終わり一人ずつ集会場を出ていくのですが、退出しようとしている自分をお母様が手招きされたのです。
「お母様が私を呼んでおられる」と行ってみると
その方の手をぎゅっと握りながらお母様が言われたそうです。
「実は私は本当に寂しいのです。」と そのような夢でした。
その方は、お母様の路程を再び考えるきっかけを得ました。
「お母様を外的にだけ見てはいけない。内的にお母様がどのような路程を歩まれたのかを常に推し量りながら見なければならない」と
一つ目にお父様を愛して侍られる真のお母様について申し上げます。
天聖経44ページにこのようなみ言があります。
「全知全能の神様は全天下を料理される神様です。
その神様がここにいるとしましょう。
力で言えば太白山もうつしてしまい、地球星にも穴をあけることができる能力をもった神様なのに
そのような神様を皆さんの目で見ながら暮らしなさいといえば暮らすことができると思いますか。
神様が見えなくて良かったというのです。
神様が見えれば私たちは皆 神経衰弱になるでしょう。
このようなみ言をお父様は語られました。
それならば神様の体をまとって生きておられるお父様にすぐ近くで侍られるお母様はどうであられるかと考えてみました。
「1日だけお父様の訓読会に参加してもその日は完全に伸びてしまうと」 とある方がおっしゃっていました。
皆様も経験があると思います。
ところで真のお母様は真のお父様のすぐ傍らで毎日のように侍りながら 50年以上生きてこられたのです。
真のお母様は、天が予め準備されキリスト教の家庭において(母子)3代かけて精誠を捧げた基盤の上で
17歳というお若い年齢で真のお父様と聖婚されました。
草創期 洪順愛大母様は正門から立ち入ることを禁じられました。
お母様はまた、「親戚間の縁を全て切りなさい」
「お父様の天の摂理のことしか考えてはいけない」という真のお父様のみ言の前に完全順従してこられました。
このような草創期の聖婚の中でも食口の家で3年間 間借りし
産後も冷たい部屋でがちがちに凍えた体を温めなければならなかったというエピソードもあります。
真のお母様の路程はお父様の自叙伝にも出てきます。
今でもお父様は疲れていらっしゃる時時折 お母様の膝を枕に横になられます。
また、お母様は、お父様の爪を切って差し上げます。
これは昔の写真ですが、今でもお父様の爪切りをなさっています。
ご自身の目には見えない爪がお母様には見えるのが不思議だ
自叙伝にはそういう下りがありますが、
父母様の仲睦まじい姿を私たちは見ることができます。
もう一つのお写真はお父様の終身理髪師としてのお母様の姿です。
真のお母様はお父様の毛染めも散髪も・・
このお写真は知鋭お姉様が最近撮ってくださった写真です。
今でもお父様の散髪と毛染めをお母様が直接なさっています。
睦まじいお姿ですね。
とても美しい姿でしょう。
2つ目に真の子女様を愛される真のお母様です。
自叙伝の208ページには(日本語版)には 14人のお子様を産み育てられた話が次のように述べられています。
「21年間に14人の子供を産んで育てたのですからとても大変だったはずですが、その素振りさえ見せませんでした。」
お母様の栄養状態が心配です。という手紙が食口から来るほどでしたがそれでもお母様は 大変だと不平を言われませんでした。
特に最後の4人の子女様を全員帝王切開でお生みになったというエピソードはとても有名です。
当時は一度帝王切開で出産すれば次の出産も帝王切開です。
ですから真のお母様は命を懸けて摂理的な子女様の数を合わせるため、子女様をお生みになりました。
当時のお母様の担当医師は一般の外国人医師だったため、お父様に「とても危険だ」と言って強く反対したのです。
それゆえ担当医師を替えざるを得なくなったほどですが、お母様は命懸けで5年間で4人の子女様をお生みになりました。
外国に出掛けられた時はお忙しい最中はがきを買い子女様たちにお手紙を書かれました。
お誕生日にはお母様がカードに祝福の言葉を書かれ
お父様のところに持って行き お誕生日の日付とその日の日付と子女様の漢字のお名前を封筒に直接書いていただき、
それを送ることもお忘れになりませんでした。
遠くにいらっしゃる時は電話で安否をお尋ねになりました。
そのように貴い真の子女様のうち4人の方を先に霊界に送られました。
3人の息子と惠進様です。
惠進様は生まれてすぐにこの世を去られました。
4人の子女様を先立たせるという十字架を負われた時も お母様は一度も思い切り泣くことができませんでした。
そしてお母様は誰にもそのような心を・・・
お父様がおっしゃったのです。
「昇華した時、涙によって祭物に汚点を残してはいけない」と
それでお母様は思いきり泣くことも、誰かに心を打ち明けることもできなかったのです。
ある時お母様は、霊界に行かれた子女様のお写真が部屋に掛かっているのをご覧になり、
「興進が逝った時遺品をすぐに整理した。あなたもそうしなさい。」
そのように慰めていらっしゃるお母様を拝見しました。
世界会長は今も時折お話になります。
「私は愛する榮進兄さんを失ったが、お母様は愛する息子を失われたのに
私と國進兄さんを部屋に呼んでその訃報を伝えてくださった時も、
「榮進が逝った。だからお前たちも心の準備をしなさい」
そうおっしゃったお母様の姿が忘れられない。」
今回米国での実体み言宣布大会フーバーダム・ラスベガス大会の時、子女様方が大勢お集まりになりました。
最近では多分最も多くお集まりになったと思います。
子女様方はちいさな部屋で真の父母様の安慰と、今後の教会の健全な発展について一緒に話し合われました。
そのような子女様方のお姿を拝見しながらとても感動しました。
そして最後、食口たちを愛するお母様の姿です。
自叙伝にも宣教師たちの名前を一人一人」記憶され、彼らに品物を送られるお母様の姿が出てきますが、
そのお姿は今も変わっていらっしゃいません。
お母様は時々私達嫁と責任者たちをお呼びになり
「最近苦労している人は誰?」
とお尋ねになりながら
「あなたが少し面倒をみてあげなさい」と、細かく気を配り品物を渡してくださるお母様です。
お父様がダンベリーの路程を行かれた時も、お母様は一緒にダンベリーに行かれる心情で
毎日お父様を訪問され、毎朝食口たちの報告を受け、食口たちを励ましていかれました。
お母様は監獄のお父様のために精誠を尽くされたのです。
「お母様のそのお姿を見て再び立ち上がることができた」と、多くの米国の食口の方々が今でも証しています。
実は、今回のヨーロッパ巡回でも様々なエピソードがありました。
その中の一つを皆様と一緒に分かち合いたいと思います。
それはギリシャ大会の準備ができなかった時のことです。
お父様は到着されて「祝福家庭が2家庭しかなくともギリシャで集会をしなさい」と言われました。
それでヨーロッパの食口の方々が無我夢中で準備をしたのです。
その指示を出された時、食堂にいらっしゃいました。
お食事が整えられたのですが、お父様は 「食べることは重要ではない」と言われ、食堂を出られたのです。
その後再び集会を開き、指導者たちに直接指示されたのです。
お父様は烈火のごとくお怒りになりました。
お母様は忍耐してその怒りを全て受け止めておられました。
そして誰一人としてお父様に申し上げることができない状況で、お母様は指導者と食口たちをかばっておられました。
そのようなお母様の姿を見ました。
大会が成功裏に終わり、お父様がみ言葉を下さいました。
「ギリシャ正教の出発地であるここギリシャで大会をしなければならなかった。今後千倍の食口が伝道されるだろう」
このように祝福してくださったのです。
私はいつも感じることですが、
お父様は大きな祝福を下さる前に常に試練を与えられるのです。
お父様は時々、訓読会でお母様を叱責なさるのをお見かけします。
そのような時、お母様は黙って受け入れていらっしゃいます。
しかし私は今回拝見したのですが、お父様がそのようにされたあとお母様はお部屋に入りお一人で泣いていらっしゃいました。
一人で心を痛め一人で消化しておられました。
本当は私たちの過ちを全てお母様が代表して、お父様から叱責を受けておられるのですが・・・
私達がもっとしっかりしなければと思いました。
見えないところで食口たちの面倒をみてくださりながら、宗教弾圧を受けた海外の食口を招き、事情を聞いてくださるお母様です。
お父様がもっと恩恵を施したいと願われる場面があれば、さらに準備して恩恵を施せるよう 心を配られるお母様です。
お父様の愛がより遠くまでより良く表現されるようにと、橋渡しの役を果たされる真のお母様の姿を見るのです。
1960年お母様は17歳でお父様と聖婚され純粋な信仰を守られ、
1992年4月10日お父様の隣の座 真の母の一に上られました。
お父様に敬礼する位置から同じく敬礼される位置に至るまで・・・・
それが2003年になって初めて公式的に許諾されたのです。
その全ての人生を通して摂理的な責任を負われました。
来年古希(70歳)をお迎えになるお母様は険しい道を歩み勝利され・・・
1999年(6月14日)の宣布内容で、その時お父様が下さった賞状に このように書かれています。
全員で一緒に読んでみましょう。
「天の前に真なる子女の使命
夫の前に真なる夫人の使命
子女の前に真なる父母の使命を完遂されました。」
食口の皆様 一つ確かなことがあります。
それはこれです。
真のお母様の権威は真のお父様から出てくるのです。
真のお母様は復帰されたエバとして
6000年間全ての女性の恨を蕩減する路程を行かれました。
ある方が私にこのように言われました。
その方は草創期からお母様に侍ってこられた方です。
「私が近くから拝見したお母様は世の中の全ての女性が背負うべき心情的悲痛 試練 迫害を全て引き受け勝利された方です。」
2010年4月29日アベルUN定着載冠式および金婚式において、真のお父様は神様の実体をまとわれ聖婚式を挙行されました。
そして真のお母様はお父様の夫人であると同時に、神様の夫人の位置に立たれたのです。
私達がお父様を愛するならばお母様も愛さなければなりません。
なぜならお二人は一つであり真の父母だからです。
お母様は天宙のお母様であられ
また 私達を再び生んでくださった「私のお母様」なのです。
私達はみな お母様の子女なのでその方の心を痛め傷つけるならば
お母様のお心はより一層痛むのです。
私達はお母様を愛し、また尊重しなければなりません。
真のお母様は「天宙のお母様」であると同時に
「私のお母様」なのです。
そのことを忘れてはいけません。
聖婚50周年の華麗な祝賀慶祝行事において
以前交わしたお母様との対話を思い出し私は涙を流しました。
お母様と一緒に過ごした時お母様にお聞きしました。
「お母様私たちは嫁の立場ですが、お母様が困難な時、心があまりにもお辛い時、お父様にも申し上げられない事情がおありだった時、どなたかと言葉を交わしどなたかに慰めを受けられましたか」
幼い末の嫁の一言にお母様はとめどなく涙を流されました。
そのお姿は 華麗な祝賀行事の場にいらっしゃるお母様とは、あまりにも対照的でしたので一人涙をぬぐったことを思い出します。
真のお父様がお寂しい時 激怒される時も、私達と人類に失望された時も、常に隣にはお母様がいらっしゃり
これからも永遠に共にお父様の傍らを守られる方は正に真のお母様でいらっしゃいます。
そのお母様は お父様の自叙伝の表現をお借りすれば
「真に善良で美しい貴女。私の妻。韓鶴子総裁」であられます。
今日は特に聖霊治癒礼拝を捧げる時に
天宙のお母様 私を生んでくださった私のお母様の姿を胸で感じながら、太平聖代 真のお母様億万歳の振動を送ってください。
不足な話をこれで終えて全員でみ言を訓読して終わりにします。
全員で一緒に読みましょう。
真のお母様は真の妻として影のような存在です。
先生が右側に行けば右側に行くのです。
全く同じく歩いていかれます。
これで世界復帰を全て終わらせました。
全て成し遂げたのです。
主管性を転倒して復帰したのです。
ですから初めて先生がお母様を世界の前に立てるのです。
個人を代表し 家庭を代表し 民族 国家 世界を代表して
先生の隣に立てるのです。
これが天国のアダムとエバを失っていない 本然的家庭基盤になっているので
家庭を中心として夫婦が天国に向かって正面から神様に対することができる
時代に入ってきたというのです。
ありがとうございました。
「天宙のお母様。私のお母様」 天基2年 天暦4月27日(2011年陽暦5月29日) 韓国 世界本部教会 天福宮 李 妍雅様